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葉っぱが好きな恐竜ロボットはお茶を淹れてくれないものか

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PLEO、12月1日から予約受付開始。52,500円

アメリカでとんでもなく売れているという、恐竜型コミュニケーションロボット「PLEO」は、葉っぱが好物。付属の葉っぱを近づけると、匂いをかぐような仕草の後、パクっとくわえたりする。赤ん坊状態から少年期まで段階を踏みながら成長するらしい。

ビッグサイトでやってるロボット展では、かなりの人気だったPLEOを見ながら、葉っぱ食べたら体内で製茶して、お茶を排出したりすると面白いなあと思った。そんなマニアックなロボットを作る人はいないか。

想像以上に動きは可愛い。鼻先にカメラがあるから、くんくんしながら動いてる感じに見えるし、音を立てるとそっちを見たりする。スピーカーが二台搭載されてるのだけど、そのうち一台はお尻にある。おならするのかもしれない。

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エミュレーターとしてのボトル飲料

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JTフーズ「ロゼ・フェスタ」300ml、150円、12月3日発売 相当美味い。

お茶のペットボトルを飲んでいて、お茶なんだけどお茶じゃないという気分になる事は多い。美味いとか不味いとか以前に、お茶ではない別の飲み物だなあと思うわけだ。缶コーヒーだと、さらにそれを強く感じるし、キリンの「午後の紅茶」なんて紅茶というより、「午後の紅茶」という独立した飲み物のように、味を覚えている。

例えば、今日、取材に行ってきた、JTの「ロゼ・フェスタ」は、ロゼ・シャンパンのようなノンアルコール飲料を作るというところから企画がスタートしたそうだ。そして、それは見事に成功して、ロゼ・シャンパンを思わせる色と発泡性を持つ、ブドウの味わいの濃い飲み物に仕上がっていた。白ぶどう100%果汁で、色は赤ブドウの果皮の色素を使うなど、かなりロゼ・シャンパンを意識しているからか、飲んだ時、ジュースという感じが全然しない。長らく空位だったジンジャーエールの隣に並ぶような位置づけの飲み物だと思う。

ただ、当たり前だが、それはロゼ・シャンパンではないし、味も違う。ただ、ロゼ・シャンパン風のノンアルコール飲料という、新しい飲み物だと思えば、それはとても美味しいし、ロゼ・シャンパン風というのもよく分かって、それがまた美味しい感じを呼ぶ。企画者と製作者、デザイナーまで一人がやっているという特殊な状況で、製品にブレが無いから成功した商品なのかも知れない(そんな商品があるなんて思ってもみなかった)。詳しくは、トレンディネットに書くので、そちらを読んでね。

その「××風」というのが、ボトル飲料のキモではないかと思うのだ。言ってみれば味覚のエミュレーション。だから、どうしてもパチモン臭さは抜けないし、無理に本物になろうとすると歪な製品が出来上がる。「ロゼ・フェスタ」に感動したのは、そのあたりの見極めの確かさ。本物指向ではなく、ボトル飲料として美味しく、ロゼ・シャンパンの雰囲気はしっかり残すといったバランス。

そういう意味ではマックスコーヒーは、王道中の王道なのかもしれない。コーヒーが含まれないコーヒー飲料なんて、エミュレーターそのものじゃないかと。

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嬉しいプーアル茶 in 秋葉原

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いとうのいじのサイン付きぬいぐるみもある秋葉原の会社でプーアルをいただく

友人の会社に行くために、久しぶりに秋葉原の電気街を歩いた。一応、駅には電気街口とか書いてあるけど、電気屋はとても減っていて、駅まで迎えに来てくれた、秋葉原で会社を立ち上げている年若の友人は、「もうただのショッピング街ですよ」と言う。ただのショッピング街にしては、メイドさんがチラシを配ったりしてるのだけど、それも「まあ、京都の舞妓さんみたいなものです」と笑いながら京都の人に殴られそうな事を言う。だから、友人は匿名なのだ。

台湾のタピオカ・ミルクティー飲ませる店もなくなってたなあ。などと言いつつ、俺は俺で、新宿では見つける事が出来なかった某ゲームの外伝小説を売ってる店に連れてってもらって二冊買ったりしたのは内緒だ。

事務所で、ちょっとした打ち合せというか、そういう話をしつつ、出してもらった、英記茶荘のプーアル茶を飲む。お客さんに、さらっと美味いプーアルが出せる会社は良いなあと思う。マグカップで出してくれるのが、また嬉しい。俺は、普通でも大量に喋るけど、仕事が絡むとさらに喋るので、沢山お茶が飲みたいのだ。最近は、ギャルゲーの広報や営業も始めたという事務所には、やたらとその手のポスターが貼ってあって、元ギャルゲーのレビューを連載していた俺としても、何となく懐かしい感じもして、そのムードがまたプーアルに良く合う。ほんと、ありがとう。美味しかった。

こういう、出してもらったお茶の話を書くのって、何か面白いかもしれない。時々やろう。

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生茶玉露缶

生茶玉露缶
糸井重里事務所と中州産業大学の共催によるイベント「はじめてのJAZZ 2」を観に行った。スイングからBe-Bap、モダンジャズからモードと、ジャズの歴史を山下洋輔の演奏とタモリの解説で綴るライブイベント。凄かったのは、25年以上ぶりのタモリの中州産業大学教授ネタ。バシバシ毒を吐き、身体を使ったネタを見せるタモリ。懐かしくも、楽しい。

そのイベントで配られた生茶玉露の185g缶は、生茶のキャラのパンダと、PostPetのキャラの熊(だっけ?)が共演してた。しかも、ちょっと変わったプルトップ。開けやすく、指や爪を痛めない新型なのだそうだ。地味に進化する缶飲料、何か健気な感じ。

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高級ペットボトル考

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左「生茶玉露」、右「小岩井 バニラとエスプレッソ」、ボトルがお揃い

サントリーの「大紅袍」は別にするにしても、ちょっと高いペットボトル飲料が増えてきている。初めて「生茶」の玉露100%、「生茶玉露」のCMを見た時は、そんなので採算は合うのかと、かなり驚いたけれど、実際飲んでみたら、何と143円で265ml。要するに高いのだった。

で、味はというと、まあイケる。そのへんで適当に買ってきた煎茶(八女茶系)を水出しで冷茶にしたような感じで、ペットボトルとしては抜群に再現性が高いと思った。ペットボトルで茶葉から淹れた味に近いというのは、それだけで凄い事だと思う。量が350mlとちょっと多い伊藤園「プレミアムお〜いお茶」よりは確実に美味い。俺、伊藤園派だけど、これに関しては「生茶」の勝ちだと思う(価格も高いんだけど)。

ただ、伊藤園には190ml、120円の缶「お〜いお茶 玉露」があって、これから缶の金臭さを抜いたら、勝負になる気がする。甘味は伊藤園の方があるし。とはいっても、生茶が美味いと思ったのは、甘味を強調してないからなので、そのあたりは分からないか。

来週は、JTの高級飲料「ロゼ・フェスタ」を取材に行くのだけれど、これも300ml、150円。高級指向はお茶だけはないらしい。そのへん、取材するので何か分かるかもしれない。

で、今日、コンビニ見てて、キリンの「小岩井 バニラとエスプレッソ」(265ml、134円)というのを見つけて飲んでみた。ペットボトルの形が「生茶玉露」と同じなのね。プレミアム路線用ということかもしれないし、せっかく型を作ったから使い回したのかもしれない。いずれにせよ、この手の少量ペットボトルはまだ色々でるということなのだろう。伊藤園のも細身のボトルで、フルーツジュース系にも使われてたような気がするし、カルピスウォーターのプレミアムも量が少ないボトルだったような。

で、「小岩井 バニラとエスプレッソ」もそれなりに美味かった。ただ、こっちはバニラエッセンスの香りが強過ぎて、せっかくの小岩井の牛乳の味が引き立たない。エスプレッソ部分はそれなりに再現出来てるけど、缶コーヒーならではの、ちょっと鼻にツンとくる感じは消せていない。「生茶玉露」が偉いのは、ペットボトル茶に共通してある独特の酸味とか鼻に抜けるイヤな感じが、あまり感じられない事で、それだけでペットボトルを脱却したように思わせるのが、何とも凄い。

ただ、お茶飲料の場合、自分で淹れれば遥かに美味い、という事実からは逃れられないわけで、だからこそ缶コーヒーと同じく、お茶飲料として別の道を歩んでいたのだと思う。そこに、高級路線投入は、ちょっと自分で自分の首を絞める行為のようにも思えるのだ。「ロゼ・フェスタ」のような、高級サイダー路線は、家で簡単に作れるというものではないし、ちょっとアリのような気がするのだけど(まだ飲んでないから何とも言えないけど)、お茶の高級路線はどうなんだろう。

個人的には、嫌みがない味なので、ちょっと喉が渇いた時などに飲むのに買うとは思うけど、この味が、普通の500mlペットボトルで実現出来ないのなら、商品として不思議な感じにならないか。500ml、147円でも、茶葉で淹れる事を考えたら十分高いのだ。それを、簡便性と別物としての味でカバーしてきたわけだから。

とか色々言っても、外出先で飲むお茶に選択肢が増える事は良い事だと思う。いっそ、「生茶玉露」で2リットルボトルとか出してくれればいいのに。ちょっとした打上げとかで、爽健美茶とかサントリーの烏龍茶とかキリンの生茶とかばっかではなく、ちょっと贅沢な「生茶玉露」があると、パーティーのイメージが随分上がると思うけどなあ。

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冬の花見

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ミッドタウンのイルミネーション

街中、あちこちでイルミネーションやってて、周囲ではデジカメや携帯電話を構える方々が沢山。もう、これは花見とか月見とかと同じレベルの娯楽なのではないかと思う。何故、茣蓙敷いて宴会してないのか、そっちの方が不思議なくらい。まあ、寒いからだろうけど。

とはいえ、ただ眺めて写真撮るのももったいないし、俺は基本的に水筒を持ち歩いてるので、ぼんやりイルミネーション眺めながら、熱いお茶を飲む。寒い日の定番は、しゃおしゃんさんの千年古茶紅茶。冬場の水筒には、だいたいこれが入っている。温まるし美味いし。風情は、自分の中で作るのが簡単でいいや。

それにしても、写真のミッドタウンのイルミネーション、こういう光景は嫌いじゃないというか、むしろ好きだけど、何となく、キングの「トミーノッカーズ」とか思い出してしまう。謎の野菜が育ってる畑って感じで。幻想的というより、SFホラー的に受け取ってしまう自分の好みが悲しい。

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茶漉し付きマグカップの形

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HOUEN/KY-T「CHAKIマグ」4,725円 (税込)

茶漉し付きマグカップって、かなり便利だと思うし、それなりに合理的だし、それなりに美味しく飲めるし、とても好意的に捉えているんだけど、結局、買った事はない。何度も買おうとしたけど、何故か決め手に欠けるというか、金を出すまでに至らないのだった。それほど高いものではないのに買わないという事は、何か気に入らないということなのだろう。

まあ、茶葉が多少口の中に入っても構わない方だから、茶漉し無しでマグカップに茶葉放り込めば用が足せるということもあるのかもしれない。でも、茶漉しとカップと蓋に分離するという、合体ロボット的なアイディアは嫌いではないし、茶漉し部分が深いのも何となく美味しく入るような気がして好きなんだけど、結局、フォルムの問題なのか。

何か、どれもちょっと野暮ったい。機能重視の茶器なんだから機能重視の形をしてて欲しいんだけど、中々そうはいかないのが、茶漉しの大きさと厚さ。焼き物で作る茶漉しは、それなりの厚みがあるからか、それを内包するカップ部分も微妙に大きくなる。大きいカップはむしろ歓迎なのだけど、その大きさが、お茶を飲むために導かれた大きさではないことが問題なのかもしれない。そういうのが伝わってしまうのがデザインの怖さだと思うし。

中では、写真の近藤康夫氏デザインによる、有田の方円シリーズのは悪くないと思う。詳しいことは、AllAboutの方に書いてるので、そちらを参照していただくとして、サイズも、薄さも、フォルムも悪くない。むしろ、これまでのものに比べればダントツに良い。だから、AllAboutでも勧めたのだけど、シビアに見ると、ちょっと詰めは甘いのだ。その詰めの甘さが、誰にでも使える普遍性に繋がっているのは分かるのだけど、多分、俺は茶漉し付きマグカップを愛し過ぎて、理想が高くなり過ぎているのだと思う。

もちろん、このマグカップは使っているし、嫌いじゃない。キレイと言えば十分にキレイだ。マグカップ単体で使ってキレイで使いやすいというのは、茶漉し付きとしては最高の機能だとも思う。だからこそ、もう少し精巧に作って欲しかった。欲を言えば釉薬の塗り方もあと一歩の丁寧さが欲しい。でも、そうするとコストが跳ね上がるのも分かるし、一般性はなくなってしまって、茶漉し付きマグカップというジャンルからはみ出してしまう。そんな製品には意味が無いわけで、だから、これはこのスタイルで完成しているのだ。俺の愛が無い物ねだりの子守歌なだけ。

かつて、設楽光太郎プロデュースで海風號オリジナル茶漉し付きマグカップを作っていたそうだ。現物はもう手元に無いという事で俺は見た事ないのが残念。しかし、俺は、何でそんな見た事も無い理想の茶漉し付きマグカップにこだわってるんだろう。そっちが不思議だ。

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リカバリーの不思議

俺は、大量のお茶を飲むので、毎日頻繁にやかんでお茶を沸かす。麦茶だったり、安い鉄観音だったり、紅茶だったり、まあ色々。ただ、時々失敗する。主に、茶葉をけちったために、妙に水の味が出てしまうケースが多い。濃く入る分には、適当にお湯で薄めれば良いのだけど、上手く抽出出来なかった失敗は困る。

やかんで沸かすということは、一度に2リットル以上のお茶を作るわけで、失敗すると2リットルもの不味いお茶が出来てしまうのだ。ハイリスク・ハイリターンとは、正にこのこと(嘘だけど)。

そんな時、意外に使えるリカバリー方法があることに最近気がついた。薄くて不味いお茶は、上手いお茶を混ぜるとかなり美味しくなるの法則だ。どんなお茶も、ちゃんと茶壺で淹れると結構美味しい。そこで、失敗したお茶と傾向が似た、でもちゃんと上手いお茶を茶壺で淹れて、それを失敗したお茶が入ったやかんに注いでやる。これで出来上がり。やかん一個に300mlくらいの茶壺一煎分もあれば十分。

これは、多分、舌というか、味覚の「美味しいものを求めてしまう性質」のせいだと思うのだが、不味くて薄いお茶と美味いお茶が混ざっていると、味覚はつい美味いものを探してしまう。すると、ちゃんと美味いお茶の味がするので、そこに飛びつく。結果、美味いがちゃんと味として認定されて、大量の失敗は、とりあえず飲めるお茶に変わるというわけだ。

何と言うか、舌の貧乏性に付け込んだ技と言うべきか。または、そうまでして「美味い」を探そうとする舌を不憫と思うべきか。

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茶盤考

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海風號に五個限定で入荷してる、ちょっと小振りのステンレス茶盤。ちょっと狙ってる俺。

お茶なんて、コップ一個あれば美味しく飲めると思ってる俺だから、茶器なんて好みで集めればいいとしか思ってない。万人に絶対必要な茶器なんて無いのだ。ただ、個人的にはどうしても必要な茶器というのはあると思う。

例えば、お茶に茶葉が入るのが、どうしても許せない人なら茶漉しはなくてはならないだろうし、お茶は掻き混ぜて飲むものだと思い込んでる人ならマドラーが必須だろう。そういう意味でのなくてはならないものなら、結構色々あって、自分にとって何だろうと考えるのは面白い。

で、俺としては茶盤かなあと思うのだ。もし茶盤がなかったら、お茶を淹れるのは随分面倒くさいと思ったかもしれない。茶盤を持っていなかった時は流し台の側でお茶を淹れてたし。

別に茶壺にお茶をかけたいわけではないし、大勢の人相手に淹れるのが好きなわけでもない。ただ、お湯がこぼれたり溢れたりするのを気をつけるのが好きじゃない。ざばざば淹れて、がっつり飲みたいから、茶盤は必須なのだ。で、結構大雑把なくせに、机とかにお湯がこぼれるのが嫌いなのだ。

そんな俺だから、茶盤は機能的で装飾がない方がいい。竹茶盤とか考えた事もない。ステンレス茶盤、しかも水切り台みたいなのが一番好きだ。立派な茶盤は、それだけでムードを作ってしまう。そうすると、淹れてる自分も偉くなったような気がして、ロクな事にはならないような気がする。良い茶器を使うのも嫌いじゃないけど、使ってる自分が誇らしくなったりすると、お茶が埃っぽくなるような気がしていやだ。

だから、なるべくぞんざいな茶盤がいい。そういう視点だとステンレスのただの四角い茶盤は、とても好ましく見える。叩くとペコペコ言うのも好きだ。穴とかキレイに空いてなかったりして、そういうのがいい。必須だけどどうでもいい、という感じが、また好きだ。要は水が漏らなければ良いわけで、ならば、どれほど精巧に作られていようと、竹茶盤よりステンレスの茶盤の方が構造上漏れない。

茶盤は、俺にとって必須だけど、お茶の味わいには全く影響しない茶道具だ。その変なスタンスも好きだなあ。

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コップで飲むお茶

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海風號「茘枝貴妃紅」をガラスのコップで

茶杯も好きだけど、お茶を飲むのに使う頻度は、圧倒的にコップが多い俺。それも、どちらかというと縦長で、しっかり量が入るタイプが好きだ。コップにたっぷりとお茶が入ってるだけで幸せを感じるくらい(実際、お茶会とかで小さな茶杯を使ってると、お茶の味とは無関係に少し寂しくなるし)。

多分、水深が欲しいのだと思う。流れ込む感じとか、水の奥が見える感じとか、そういうのが好きなんだろう。シャーレよりビーカー、ビーカーより試験管、試験管よりメスシリンダーが好きだったからなあ。海風號のオリジナル茶杯が好きなのも、縦長だからかもしれない。緑茶が好きなのも、縦長のコップで飲むと美味くて簡単だからかもしれない。

少し前に海風號の設楽さんに「drinkin" chaプロデュースでオリジナルの茶器作りませんか?」と言われたことがあって、その時は、そんな大それた事はまだ出来ないと思ってお断りしたのだけど、その日からずっと、もし俺がオリジナルの茶器を作るなら、何を作るんだろうと真面目に考え続けて出た結論もコップだった。お茶を飲むのに最適化した、でも汎用性もあるコップを作ってみたいと思った。

茶杯でもなく、茶碗でもなく、グラスでもなく、水差しでもなく、マグでもなく、タンブラーでもなく、コップとしか言い様がない、そんなコップでぐいぐいお茶を飲むのが好きだ。多分。

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寒い夕暮れの海風號にて

寒い夕暮れの海風號にて
白金高輪での打ち合わせを終えて、寒っ、と思いながら海風號へ向かって歩く。歩くのは、着いたときに飲むお茶がより美味しいから。そういう季節になった、いきなり。

設楽さんとぼつぼつ、低反発クッションの話などしながらライチ紅茶をいただく。微妙な香りが冷えた身体に気持ちいい。思い返すと、海風號のライチ紅茶を飲むのは初めてだ。コップで出してもらって、それが季節と時間と場所にとても合っていて嬉しい。

なんて、実況出来るようになったという、それが嬉しいだけの文章だけど、本来、こういうのがブログというものかもしれない。

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トーストとお茶

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VICEVERSA/Wサンドトースター・ルーカス

仕事でトースターの使い比べをやってて気がついた事がある。日本のメーカーのものと外国のメーカーのものでは出来上がりが違うのだ。日本のメーカーのトースターはちょっと柔らかめというか、中の水分を守り過ぎというか、表面に軽く焦げ目を付けて中はあまり火を通さずにふわっと焼く感じ。海外のメーカーだと、強火で一気に焼く感じで。サクッという感じで焼ける。

焼き加減設定で標準とされる数値で焼くと、海外製はしっかり焼き目がつくけど、日本製は軽く焼き目が付いてる感じ。で、俺としては好みは海外製。食パンがフワフワするの好きじゃない。ダブルソフトとか苦手なのだった。で、思ったのは、日本製の電子ジャーがとても美味しく御飯が炊けるようになったみたいに、トースターは海外製がパンを焼く事を知っているのではないかとか。まあ、実際のところは分からない。

写真のトースターなんて、焼き色調整も何もついてない。ただ、タイマーで焼き時間を調整するだけ。しかも、サンドイッチが焼けるというのがウリだけど、それも単に網みたいなのに挟んで入れる構造だというだけのこと。早い話が縦型オーブントースターみたいな感じで、その大雑把な感じが何だか好きなのだ。さすがイタリアのメーカー。

などとトースターを使い比べつつ、毎日トーストを食べるのだけど、トーストって、あんまりお茶に合わないのね。紅茶なら、まあ大丈夫だけど、それでも合うという感じではない。飲み物ならコーヒーか牛乳かフルーツジュースかなあ。うーん朝ご飯だ。朝起きないけど。あ、もしかしたら朝ご飯に中国茶ってイマイチ? というか、バターがお茶に合わないのか。ジャムならどうだ? あんこトーストってどっかの甘味屋にあったなあ、あれならお茶に合うのか?というか、それはもはやトーストなのか。

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塩大福という不思議

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有楽町で買った塩大福。京都大原三千院にある豊寿庵の塩大福だそうだ。
Photo by megmu@mame-en

大福餅は好きだ。美味いお茶があれば何個でも食える。というか、お茶が美味くなるから好きになったという感じ。餅も小豆餡も、どちらもお茶が進むのに、合体してるからなあ。

でも、塩大福は謎だなあと思う。まず、普通塩大福というと、塩豆が入った大福の事だと思っていた。豆大福のバリエーションね。実際、このタイプは多い。俺も好きだ。

で、写真の大福だけど、これ餡に塩がはいってた。これはこれで美味いというか何と言うか、バター付けたトーストにジャム塗るような感じで、アンバタとかジャムバタとか美味いよね、あの感じ。

大福の餅部分が塩っ辛いのも食べた事がある。それはそれで美味い。まあ、どれも美味いんだから、どうでもいいようなものだけど、実際塩大福って、どれが正統なんだろう。味覚の研究者によると甘いものの中の塩味は、ある種の快感を与えるらしいという話もあって、塩が甘さを引き立てると言うような単純な話ではないらしい。

で、実は美味いお茶のお茶請けにするなら、塩大福より普通の大福の方が美味い。これは、お茶が塩的な役割を果たしているからではないかと思うのだ。で、塩味と喧嘩する。ところが、塩辛いものもお茶には合ったりして、何だかねえ。

ちなみに、写真の大福は、有楽町駅から有楽町線に乗り換える時に使う改札の横で売ってる。急なお遣い物なんかにとても便利。五個で640円くらいだったと思う。で、普通の塩大福以外に、カスタードとかずんだとか種類色々。でも、つぶ餡が一番美味いと思う。

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W-ZERO3 Advanced[es]で投稿テスト

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もしかしたら、かなり面白いことになるんじゃないかと思った。ちゃんと文章が打てるじゃないか。それなりの速度で。これなら、ノートパソコン無しで、外出先からブログの更新が出来る。写真は、まあ元々大したレベルじゃないからこんなんでいいでしょう。

愛子さんとこのキーモン紅茶がやけに家族に好評で、俺は俺で、深夜に海風號のラプサン飲みながら、W-ZERO3 Advanced[es]の設定したりカスタマイズしたり。何か、こんなふうにデジタル小物にはまるのは久しぶりで、ちまちまとソフトをインストールしてること自体が懐かしい感じがする。

で、そんなチマチマ感が、かつては中国茶に似てると思ってたのだけど、今や俺にとっての中国茶は、あまりチマチマしてなくて、最後にはまったデジタル小物は、ちょうど海風號に行き始めた5年ほど前のPocketPCで、今はまったのが、PocketPCの後継OSを積んだPHSで、因縁といえば因縁でもある。

まあ、テストだからこのくらいでいいかな。随分気温が下がってる。海風號の全然ヴィンテージじゃない、でもとても美味しいから、これで充分のプーアル飲んでもう一仕事。

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甘いもののこと

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甘いぞクリスピークリームドーナツ。提供はKIMIKOさん。ありがとう。Photo by megmu@mame-en

人間の味覚は、甘いものに対してが最も鈍感なのだそうだ。一番センシティブに反応するのは苦味で、続いて酸味。この二つは、苦いものは毒で、酸っぱいものは腐ってるものだから、敏感にならざるを得なかったのだそうだ。で、その二つからかなり遅れて塩辛さと旨味(グルタミン酸系のいわゆる出汁味のこと)があって、さらに大きく差を開いて甘味が来る。

甘味は栄養だから、沢山摂る必要がある。味に敏感だと多く摂取出来ないから、かなり鈍感になっているというわけだ。苦いと感じる最小量と甘いと感じる最小量では五桁違うのだという。ということは、お茶が苦いと言ったところで、苦味成分なんてほんの少しで、お茶が甘い場合、それはとんでもないほど甘味成分が含まれているということなのだ。

で、写真はクリスピークリームドーナツである。まだ行列が続いているようだけど、これがもうビックリするくらい甘い。だれが最初に言ったのか知らないけど、このドーナツを評した「頭が悪くなりそうなくらい甘い」という表現があって、何か、とても言い得て妙。決して不味いわけではなくて、むしろ美味しいと思うのだけど、それでも虫歯を通り越して、どこか違うところが蝕まれるような気がする甘さではあるのだ。もう味覚の成分としては、ほとんど甘味以外見当たらないというくらいなんだろうし。

シナボンが流行った時も思ったけど、この手のアメリカからやってきた感じの甘さって、また独特なものがあるなあと思う。米麹の甘味とか、炊いた小豆の甘味とか、そういう日本の甘味とは全く違う何か。昔、チョコレートが食べれなかった俺は、キスチョコとかにも、同じような暴力的な甘さを感じていた。ただ、この嵐のような甘さに翻弄されたい時というのもあるのも確か。まあ美味いお茶かコーヒーがあれば、大体の甘味と戦えるし。ていうか、戦いか、やっぱり。

仕事に詰まった時食べる一片のチョコレートは、やたらと脳を活性化してくれる気がする。脳は人間が一日に摂取する糖分の70%以上を消費するそうなので、甘いものはある意味頭が良くなる栄養であるはずだけど、やはり過ぎれば害があるということなのだろうか。甘すぎる食べ物って、食べてる時に頭が溶けそうな気分になる事があるけど、あれは実際はどうなってるんだろう。あれはあれで、気持ち良かったりもするんだよなあ。

気持ち良いと言えば、甘いものの中の塩気って、快感なんだって。羊羹を苦いお茶で押し流す気持ち良さとかも、そういうのに近いかも。何か、この話っていくらでも書けるなあ。またそのうち考察するとして、とりあえず、今回はこのへんで。

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鑑定はしたくない

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普通に飲むのに使う事がある

別に品茶が嫌いなわけではないけど、個人的にお茶飲む時は、愉しみのために飲みたいと思う。なので、鑑定杯をその言葉通りの意味で使った事はない。つーか、別に鑑定杯でなくても、品茶は出来るし。

ただ、鑑定杯の大きさは何となく好きで、好きなお茶を適当にがぶ飲みしたい時に使う事がある。がーっと鑑定杯で淹れて、そのまま、カフェオレボウルみたいな感じで飲む。洗うのも簡単だし、サイズが、ゴクゴク飲むのにちょうどいい。

不器用で蓋椀が上手く使えない俺にとって、鑑定杯が蓋椀代わりなのかもしれない。杯に移さずに飲む事さえあるし。

そういえば、この鑑定杯って、同じようで微妙に形や大きさが違うのね。時々、凄いカッコ悪いのがあるし、妙に形が良いのもある。まあ、元々、そういうアバウトなものなんだろうけど。写真のは、カッコいいタイプのだと思う。受ける茶碗部分のカーブがいい(微妙だけど個人的には)。

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出来が良いとか悪いとか人は時々口にするけど

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謎のデミカップ。詳細は秘密。

例えば、茶杯を選ぶ時、飲み口が薄いとか、釉薬の具合が良いとか、香りがこもるので香りを聞きやすいとか、口が広いのが良いとか、すぼまってるのが良いとか、色んな観点で選んでるのだけど、でも、機能で選ぶというのは、実際のところ、何かに言い訳してるような気がする事がある。

目茶苦茶好きな形と色と持ち心地で、でも口当たりは普通の茶杯と、口当たりと機能は最高だけど、見た目がとても好みでない茶杯があったら、多分、俺は見た目が好きな方を取ると思うのだ。で、その時は、持ち心地の良さに何らかの理屈をくっつけてたりして。

とりあえず、何か良い茶杯が欲しい、という曖昧な状態なら、機能や構造、焼き物としての出来の良さなんかは、かなり重要な情報になると思う。でも、何が欲しいのかはっきりしてたら、そういうのはとてもどうでも良くなる。

茶壺なら、茶杯に比べて道具度が高いせいか、機能の重要度も茶杯よりも高いかもしれない。でも茶杯は、普通に飲めるのなら、後は、好き嫌いだけが何より優先するような気がするのだ。で、飲み口も、かなり気分に左右されるから、好きな茶杯で飲めば美味しく感じるし、好みでない形の茶碗で飲むと美味しく感じにくかったりする。

唇は結構感覚が鋭敏だし、口当たりが味に影響するのも間違い無いと思うけど、感覚が鋭敏だからこそ、嫌いなものに対する時も敏感。吸い付く口当たりでも、我慢出来ない形なら、良い口当たりだと思いにくい。嫌いな人とキスは出来ないみたいなもので。

出来が良いから良い、というのは、キレイな女の子(男の子)なら誰でもいい、と言ってるようなものかもしれない。口当たりが良いから良い、というのは、気持ち良ければ誰でもいい、と言ってるようなものかもしれない。好みって、もう少しうるさいもので、もう少し複雑だから、ちょっとブスだからエロくて好きとか、地味だから好きとか、何か気が合うから好きとか、色々ある。あ、だから茶杯も数が集まっちゃうのだなあと(あ、これも言い訳か)。

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コーヒーメーカー使い比べ、後書き

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象印ZUTTO「コーヒーメーカー」は名作だと思う、安いし

9月、10月と、Pdwebというプロダクトデザインの総合Webマガジンで、コーヒーメーカーの使い比べというか、複数のコーヒーメーカーを集中してレビューする連載をやった。デザインのサイトなので、コーヒーメーカーと言っても、デザイナーがはっきりしているもの、またはデザインが売りになっているものを取り上げて、デザインと使い勝手の繋がりみたいなものと、実際の使い心地、味わいをレビューするという、今まで、ありそうで無かった感じの原稿を書いている。

書いたコーヒーメーカーは以下の四つ

Review01 Wilfa
http://www.pdweb.jp/review/ldv_wilfa_070814.shtml

Review02 Rowenta
http://www.pdweb.jp/review/ldv_rowenta_070907.shtml

Review03 deviceSTYLE
http://www.pdweb.jp/review/ldv_devstyle_070928.shtml

Review04 ZUTTO
http://www.pdweb.jp/review/ldv_zutto_071012.shtml

まあ、当たり前と言えば当たり前だけど、コーヒーメーカーで淹れるより、普通にペーパードリップで淹れた方が美味いし、ネルドリップならさらに美味い。コーヒーメーカーは、手軽に大量にコーヒーを淹れたい時に使うものだろう。お茶で言えば、薬罐で沸かすみたいなもの。

ただ、薬罐で沸かすお茶だって、やり方次第では侮れない美味しさになるように、コーヒーメーカーも上手く使えば、意外に美味く入る事も分かった。何と言っても便利で速いから、これで美味しいなら言うことはない。特に、10杯分とかをペーパードリップで淹れるのは技術もいるし時間かかるし、これが意外に美味しくはいんなかったりして結構ムカつくものだ。だから、がぶ飲みしたい俺みたいなタイプには便利な機械だと思うのだ、コーヒーメーカーは。

で、レビューを読んでもらえば分かるけど、美味しく入るのは、ROWENTAとZUTTOだった。最もデザインされた感があるタイプと、最も素直にデザインしたタイプが優秀だというのが、中々面白い結果だなあと思ったけど、まあ実際は好みもあるから何とも言えないというのが本当のところ。それでも、上記二つがデザインにも必然性があって、味わいも好みだったので、デザインと機能の融合みたいな見方をするなら、まあ正解ではないかとか思う。

で、一部お茶も淹れられるのね、コーヒーメーカーって。今回取り上げた中では、deviceSTYLEのがお茶に対応。あと、今借りられるか申請中の±0の新作がコーヒー&ティーメーカーという名前になってるから、お茶も淹れられる。どのコーヒーメーカーもとにかくお湯が沸くのが速いから、大量のコーヒーがあっという間に出来上がって、それが何よりのメリットだと思うのだけど、それはお茶でも同じこと。deviceSTYLEのなんて、むしろコーヒーより紅茶の方が美味しく入ったし、いっそティーメーカーなんて製品も出てきそうな気がする。でも、フィルターでドリップする構造が変わらないなら、あんまり中国茶には向かないかも。

ともあれ、Pdwebでは、現在トースター編に突入。今後も、色んなデザイナーズ用品を使い比べるので、興味ある方は読んでくださいね、という宣伝でした。Pdweb自体も面白いので、よろしくです。

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美味しいとか美味しくないとか以前にある何か

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海風號「特等安渓鉄観音」今シーズンの美味いよ

青いとか、醗酵が足りないとか、焙煎がきついとか、焙煎が浅いとか、まあ、飲む方は何となくそういう事を言ってしまうことがある。俺も、言ってしまったりもした。でも、何か、そういう言い方は通じるようで通じないというか、自分で醗酵させたわけでも焙煎したわけでもなく、まあ焙煎がキツイくらいは分かるけど、それ以外のケースで、自分が感じている「何か」を、醗酵とか焙煎といった、製茶の一工程のせいにして語ってしまって良いのかどうか。焙煎がキツイのも、単に火が落ち着く前に飲んでいるせいかもしれないし。

だから、もっと焙煎してある方が好き、とか、紅茶と緑茶と比べて、「今日は、醗酵したお茶が飲みたかったから紅茶」とか、そういう感じでしか、そういう表現はしづらいなあ、と最近は感じている。要するに、その手の表現がとてもピンと来なくなってしまったということで。身に染みない表現は、なるべく止めとこうみたいな感じで。

その上で、海風號の特等安渓鉄観音の話をしてみる。実は、俺、海風號の特等安渓鉄観音(通称、特安だけど漢字で書くと安いなあ。カタカナでトクアンにしよう)が美味しいことは知ってるし、飲むと、いつも、ああ美味いと思うのだけど、でも、金奨鉄観音の方が好きで、「貧乏舌だなあ」と思っていたのだった。で、その原因だけど、これがロットによって違うからややこしい。

原因、その一
美味しいのは分かるけど、微妙にキュウリっぽい風味がある場合。これは、もう俺の個人的な問題で、キュウリ風味は全部ダメなのだ。何故、キュウリ風味が発するかは、今、色々仮説を立ててはいるけど、ともかく、お茶のせいじゃなく、俺のせいでダメなのだ。

原因、その二
これも味には問題ないというか、むしろ好きな味だけど、何か鼻の奥がキューンとなることがある。何故かは解らないけど、鼻の奥というか目の奥というか、そのあたりに変な刺激があって量が飲めない。ただ、この場合、味自体は好きなので、お店で出してもらえたら喜んで飲むのだけれど、自分で淹れて飲むのはツライので買わないのだ。

で、これらの原因を、俺は焙煎が浅いからとか短絡的に思っていたけれど、毎年、トクアンを飲んでると、そんな単純な事ではなさそうな気がしてきている。その一とその二が合わさって来ることもあるし、一煎目はキュウリだけど二煎目からは大好きとか、出涸らしはたまんなく美味しいとか、そのへんも色々だから。

だから、多分、お茶が美味しいとか美味しくないとか、そういう判断のレベルでは分からないというか、それ以前の問題というか、好みというか、そういうのもあるんだなあと。

何故、そんなことを考えるかというと、今シーズンに海風號に入荷した特等安渓鉄観音は、キュウリ味もしないし、鼻の奥にも来ないで、すーっと気持ち良く飲んで美味しかったから。で、味わいそのものは、鼻の奥にキューンと来てたものと、それほど変わらないというか、もちろん、キューンと来ない分、それより美味しく感じるわけで、味って難しいなあと思うのだった。しかも、今回のトクアン、内質というのか、何と言うのか知らないけど、お茶の成分が濃い感じで、栄養がありそうな飲み心地(気のせいかもしれないけど)。

こういうのがあるから、青いのは苦手とか、焙煎浅いとちょっととか、そういうことは益々言えなくなるのだった。しかし、ほんと、似たような味わいで、でも身体に入る、その入り方が違うものがあるというのは、何とも面倒くさくも面白いなあと思うのだ。

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チェイサーの話

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いや、何となく追っかけっこみたいなので

俺が大好きな某バーで、ジャスミン茶を使ったカクテルを頼むと、一煎目はカクテルに使わず、そのままお茶として出してくれる。そこで使っているお茶の個性の都合で、二煎目以降がカクテルに向いているという判断なのだそうだ。なので、有り難く、美味いジャスミン茶を飲みながら、ゆっくりカクテルが出来るのを待つ。

で、結局、お茶をチェイサー代わりにしながら酒を飲むのだけど、これが美味いんだ。まあ、フルーツジュースをお茶請けにするような俺なので、もしかしたら一般性はないのかもとか思っていたけど、そんなことは無いらしい。ちょっと「チェイサー」について調べてみたら、何か凄く、その解釈はバラバラなのね。で、ちょっと嬉しかったのが、「おのぞみドットコム」というサイトの「ウィスキーのさしすせそ」に書いてあった記述。

チェイサーとは、強い酒をストレートで飲んだ後に追いかけて飲む飲料のこと。チェイサーを交えて飲むことで、口の中はリフレッシュ。ウイスキーの香りを際立たせる渋い役目を果たしてくれる。水や温かいウーロン茶が一般的だけど、先に飲んだ酒よりもアルコール度数が低ければOK、ってことでビールをチェイサーとして好む人もいるんだよ。そのほか、温かい牛乳だって合う。酒を本当に楽しみたいなら、銘柄のみならずチェイサーにだってこだわろう!
http://www.onozomi.com/osake/whisky_si.htmlより引用)
コレ読むと、チェイサーに温かいウーロン茶は普通のことらしい。しかも、「温かい」ってことはペットボトルじゃないんだろうなあ。いや、ホント、酒、特に洋酒関係に中国茶は合うと思うんだけどなあ。チェイサーというか、口直し的な感じで。

他にも、ビールやソーダはチェイサーとして当たり前みたいだし、要するに、飲んでる酒よりアルコール分が少なく、さっぱり飲めれば何でも良いのではないかと。サイトによっては、バーで出す水の事をチェイサーと呼ぶと書かれたりもしてて、まあ、実際のとこ、何でもいいんだなあと。で、何でもいいなら美味い方が良いのではないかと。美味いお茶をチェイサーとして出すバーが増えたらいいなあと思う。

ついでに考えたのは、お茶を飲む時にもチェイサーは有効ではないかということ。いくつかのお茶を続けて飲む時、茶杯をすすぐ人は多いけど、口をすすぐ人はあんまり見た事ない。でも、茶杯より口すすぐ方が、多分味は混ざらない。また、お茶にせよ、途中で口をさっぱりさせた方が、後が美味しく飲めるような気がする。でも、お茶を飲むたびに口をすすぐのは、見た目にも美しくないし、何か神経質な感じもする。そこでチェイサーだ。お茶と一緒に、水を飲んでいる分には、有りのような気もするから。

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香りは立った方が良いのか

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ROWENTAのコーヒーメーカーは美味しく入るけど密閉性が高くて淹れてる間の香りはあんまりしない

お茶を飲んでいて、時々思う事がある。というか、まあ、これは俺の好みの話かも知れないのだけど、何と言うか、淹れる時にぶわーっと香りが立つお茶って、結構飲み飽きることが多いような気がするのだ。全部がそうとは言わないけど、一煎目香りの良さに味が負けてるようなお茶は、だいたいそうだと思う。

前に、味覚センサーなどを作って味覚の研究をしている九州大学の先生に取材した時、「匂いが分からないと、オレンジジュースとアップルジュースの違いが分からなくなる」という話を聞いた。舌による味覚だけだと、その二つはとても似ているのだそうだ。でも、通常、その二つの味を間違える事はないし、別に匂いに頼って区別しているつもりもない。

つまり、匂いも込みで味だと記憶しているし、そうやって味わっているのだろう。ということは、お茶も味だと思っている特徴が香りと味との合体モノだという可能性は高い。そう考えると、香りに対して味が負けていると感じる場合、それは香りが味に繋がっていないということではないかと思うのだ。

ある人が、お茶の香りを評して、「水が香りを帯びている」と表現したそうだ。それを聞いて、何となく分かったような気がした。お茶の「良い香り」は、水に付いていて、それを飲む時に感じるものが、俺は好きなんだなあとか。聞香杯使わないのは、そのせいかとか。空気中に発散される香りも悪くないけど、その香りは、飽くまでも茶水が帯びている香りが、茶水だけでは収まり切れずに漏れ出したものでないと、お茶の味わいに繋がらないような気がする。

じっくり、何煎も美味しく飲み続けられるお茶って、大体、ずーっといい香りも伴ってて、その香りは、陶器の茶壺で淹れても、蓋椀で淹れても、同じように続く。その香りは、ぱーっと「立つ」ものではないけど、味になって香る。そういうお茶が好きなんだろうなと思う。

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量産品が好きであるという不思議

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海風號に再びやってきた鉄画軒の茶壺

 この写真の鉄画軒の茶壺が良いのは分かる。何か、とても触った感じが良くて、味わい深い土とはこういうものかとか思う。形も隙がないキレイさで、把手を持った時の重さのバランスも良い。多分、美味しいお茶が入るんだろうなとも思う。

 でも、何故だろう、欲しいとは思わないのだ。この茶壺と同じ時に北京から海風號主人の設楽さんが持ち帰ったという程壽珍の倣古壷は、既に売れていて実物を見る機会がなかったのだけど、多分、それも欲しいとは思わなかったような気がする。価格とは関係なく。

 で、例えば鉄画軒の場合、筋紋壺ってあんまり好きじゃないというのもあるけど、そういう好みを越えた良さは伝わる。程壽珍の倣古壷の場合なんて、倣古壺は好きな形なんだけど、写真を見てもあんまりそそられなかった。といっても、凄え見たいとは思ったけど。

 だから、興味が無いわけではないのだ。価格のせいで興味が無いというわけでもない。ちょっと凄い価格の茶壺だって、実は持ってたりもするし。とか考えていて、ふと気がつくのは、実は俺、あんまり作家モノに興味が無いのかも知れないということ。

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海風號にやってきた民国の早期壺(3万円)

 例えば、この写真の茶壺は欲しいと思った。デッドストックの早期壺みたいで、とてもキレイ。多分、まだ誰も使っていない感じ。その部分は残念だけど、海風號で1年くらい使った後なら、即買っていたかもしれない、というくらい好き。量産品だけど、丁寧に作ってあるし、扱いやすい感じだし、育ちそうだし。

 この早期壺と上の鉄画軒、どっちか貰えるとしても、早期壺もらうと思う。そういう好み。そういう価値観。

 何故かは分からない。でも、作家の一点モノ茶壺とか、嫌いじゃないけど、持っていたいとは思わない。それで淹れたお茶は飲みたいと思うけど、それは、誰かに淹れてもらいたいとも思う。この感覚って何だろうとも思うけど、そうなんだからしょうがない。ニセモノとか本物とか意識しないで良いモノが好き、というのはある。「良い」が保証されているモノを所有したいと思わないということかも知れない。

 でも、モノを選ぶ、というのは、とても個人的な作業で、それが実際に使う道具となると、作り手の顔が見えない、そのモノ自体の魅力を自分の目で見つけたいと思ってしまうのも、また当然のように思うのだ。

 と書いて、そう言えば顧景舟の倣古壺は欲しいと思ったのを思い出した。何か顧景舟の茶壺って、何と言うか作家臭が薄い感じがするのだ。工房の人だからかも知れない。よく分からないけど。

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真鍮の盆と匙

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真鍮は好きだ。五円玉とか、金管楽器とか、あの、金ほど光らず、何となく金属の中ではふにゃっとした質感があって、使っていると銅みたいに味が出てくる。というか、元々銅と亜鉛の合金だ。銅と錫だと青銅で剣になってたり、魔神になってたりして、何となく好戦的(だからといって10円硬貨が喧嘩好きというわけではないが)。銅とニッケル白銅で、金管楽器のバルブとかに使ってたと思う。真鍮より固い印象。

真鍮は黄銅とも言って、だから王道だとか、つまんない洒落も言える。洒落と言えば、海風號の設楽さんが「茶芸・アフター・トゥモロウ」とぼそっと言うので、倒れるくらい笑った。「ザ・デイ」は全部、茶芸でイケルわけで、そう考えると無闇に面白い。だからと言って、曽根崎真鍮とか、真鍮天網島とか、真鍮の首飾りとか、真鍮一おみおつけとか言ってよいというものではない。

黄色が強いのは亜鉛が多い真鍮で、赤みが強いのは銅が多い真鍮なのだそうで、上の写真で言えばお盆は銅が多い、いわゆる丹銅で、匙は六四黄銅といったところか。お盆の方は清朝末期くらいのものだそうで、もうしっかりと味が出てる。何か、この上に乗せて写真撮ったら何でもフォトジェニックという感じで。全体に赤黒く鈍く光ってて、ちょっと付いた緑青も良いアクセント。手に持った感触もたまんない。

真鍮に緑青が付くのは、銅が含まれるから。青銅の場合は、あれ空気に触れると緑青になっていくのよね、確か。だからか何となく青銅って緑青びっしりの印象がある。というか、緑青の緑を愛でるためにわざわざ作った合金が青銅という感じで(嘘だけど)。

茶匙や茶勺があんまり好きじゃないので、普段は適当に袋からざくざく入れたり、手づかみで入れたりしてるけど、さすがにそれではちょっとと思う茶葉も時々ある。なので、この真鍮の古い匙を茶匙代わりに使ってる。あんまり出番は無いけど、それでも「匙」という感じが不思議に懐かしいように、匙は古いものがカッコいいような気がして。

海風號の設楽さんが、また色々と北京から持ち帰っていて、その中に、上の写真の匙と盆もあって、匙は7000円、盆は25000円。盆が良くって。真鍮の良さが、とても直接的に伝わる感じで、匙は既に持ってるから今回は見送って、盆をゲット。何せ、五枚限定というか、五枚まとめて入手出来たのは凄く珍しい事だったようで、設楽さんも興奮気味。匙も、今回のが出来が良いので、もしかしたら買うかも。古いラッパみたいな色がたまんない。

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お茶請けの話

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JAZZ喫茶は、JAZZがお茶請け。JAZZ喫茶ヤマト屋 at 京都

 「請ける」という言葉は、まあほとんど「受ける」と同じ意味なのだそうだけれど、特に「請ける」という感じを使う場合は、「金を出して引き取る」とか「引き受ける」という意味の時なのだそうだ(三省堂デイリーコンサイス国語辞典より)。つまり、お茶請けって、お茶を引き受けるものなんだな。

 真面目に考えると、例えばお茶を飲むときの、口の中の感じを変えるために食べるという場合や、お茶という刺激物を腹に入れる時の、刺激の緩和として何か食べるという場合の食べ物をお茶請けと呼ぶという定義も出来ないではないかもしれない。そう考えれば、お茶請けは、お茶を引き受けているような気がしないでもない。

 でも、その一方で、お菓子を食べたら口の中が甘くなるから、お茶を飲んで口の中をさっぱりさせたいという場合がある。食べた後にお茶を飲むことで味が完結するという食べ物だってある(あたしの場合、それは羊羹と緑茶だったり、チーズケーキと紅茶だったり、沖縄料理とさんぴん茶だったりする)。その場合、どっちがどっちを引き受けてるんだろう。

 酒を飲むときに食べるのは、つまみだったり肴だったり。一方で酒だけ飲むときにチェイサーのように、別の飲み物を飲む。このときの水がまた美味い。バーでチェイサー代わりに凄え美味い鉄観音を出してもらったことがあるのだけど、この場合、どっちがどっちを引き立てるのか分からないけど、酒も茶も美味くて、でも、それぞれが独立して飲み物として成立してる。要するに美味い飲み物が並んでるという状態ね。

 個人的には、フルーツジュースをお茶請けにお茶を飲むことがある。ドライフルーツは中国茶のお茶請けの定番だし、果物はケーキなどに使われて、普通にお茶請けとして食される。ならばフルーツジュースの味がお茶に合わないわけないので、一見、ふしぎな組合せのようで、実際に試してみれば案外普通に美味しいのだ。この場合は、どちらかというと、フルーツジュース請けにお茶を飲んでいるのかも知れないけど。

 シガーを美味しく味わうために正山小種を飲むという人も多い。神楽坂のとあるバーでは、シガーと一緒に当たり前のように正山小種が出てくる。タバコと焙煎のしっかりしたお茶との相性が良いのは有名だし。この場合、何が何を請けてるんだろう。もはや相手は煙だし。

 ドラッグミュージックと呼ばれた音楽がある。ピンクフロイドとかジェファーソン・エアプレーンとかグレイトフル・デッドとかが代表選手。で、この手の音楽は、ドラッグをキメる時の必需品として、言わばドラッグ請けとして使われていた、というか、多分、今も。意識の拡大を促すドラッグで敏感になった感覚を刺激するものとしての音楽、ダウナー状態の精神を包み込むための音楽。

 それは、最初に考えた、お茶の刺激を緩和することを引き受けるためのお茶請けと、とても似た「請け」方。だからなのか、お茶と音楽を合わせる人は多い。バーチャル茶会のチャットでも、「今、何聞いてます?」といった会話は普通に行われている。お茶とドラッグの類似性はこんなところにも表れているけれど、そんな風に考えなくても、酒と音楽の相性の良さも含め、音楽は飲み物請けとして、とても優れたものなのかもしれないと思う。

 思いついてみれば、お茶は五感で味わうのだから、それを「請け」るお茶請けが、味覚関係に限られはしないのは当たり前だ。逆に、しみじみと身体に染み渡るお茶が、その他の刺激を「請け」ることが出来るのも当然のような気がする。

 そう考えると、良いお茶というのは、例えば自分が大好きな曲を受け止めてくれる味わいのものだったりするのかもしれない。逆に良い音楽は、自分が大好きなお茶の味を増幅してくれるようなものなのだろう。好きな人と、ただだらだらお茶を飲むのが楽しいのは、そこに既に最高のお茶請けがあって、また、お茶が会話を「請け」てくれているからなんだろう。

(この文章は、第二回世界同時多発茶会用に書いたものですので、一部読んだ事がある方もいらっしゃると思いますが、そこはそれで、よろしくお願いします。)

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相棒のような茶壺

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海風號の漢瓦壷とマグカップ

 ずっと前からお茶は飲んではいたけど、この漢瓦壷を手に入れてからと、それ以前では、何となく変わったような気がする。何となくとしか感じられないのは、この漢瓦壷でお茶を淹れるというのが当たり前になり過ぎて、それ以前、どうしていたかが思い出せないから。

 あんまり、仕事机ではお茶を入れる事はないのだけど、この漢瓦壷は、こんな風に手元にあることが多い。キッチンにお湯入れに行って、戻ってきて、ちょっとだけ間を置いて一気にマグカップとかに注ぐ。で、仕事しながら飲んで、なくなるとまたお湯を入れに行って、お茶淹れて仕事して。

 そんな時に選ぶのは、いつも、この漢瓦壷で、ほとんどスペースがない俺の机の上でも、どうにか置けてしまうコンパクトさと、その割に結構お茶はたっぷり入るのと、いつも確実に美味しく入るので、当たり前のように選んで、当たり前のように使い続けている。

 だから、ありとあらゆる茶葉を、これで淹れてる。手に入れた時点で、既に10年以上旅していた茶壺だから、もう、何用とか意味が無くて、流石にプーアルは淹れてないけど、紅茶は淹れたなあ。ほんと、何淹れても美味い。もしかしたら香りはそんなに立ってないのかも知れないけど、美味いからいいや、みたいな感じで。

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