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ここんとこのお茶メモ Part.18 お茶の本とチョコフェア編

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●お茶の本が本決まりになったのは良いが、〆切が2月末。で、三分の一くらいは、このブログに書いたことのバージョンアップで、もう三分の一は、色んな人に「普段使ってる茶器」と「お気に入り普段飲みの茶葉」を教えてもらう「我流茶」コーナーで、残り三分の一が、実験とか取材とか対談とかで構成する予定。で、ここを読んでる方に聞いてみたいのだけど、

1.誰が使ってる茶器、見たいですか?
2.このブログの記事の中で、どの記事をバージョンアップしたら読みたいですか?
3.どこに取材行くとおもしろそうですか?

以上三つ、メールでもコメントでも早めにくださると嬉しいです。まあ、俺が書く本なので、当然のように冷茶ネタ、ほうじ茶ネタ、ブレンドネタ、中国茶器でない茶器ネタ、ミニマム茶器、携帯茶器、あたりは押さえます。あと、海風號の設楽さんにモノの見方を教えてもらったり、しゃおしゃんの前田さんと鉄瓶実験したり、愛里さんと品茶について考えたりといったネタは本決まりです。

●伊勢丹のチョコレート・フェアに行って、チョコを食った。で、一番美味いと思ったのは「ファブリス・ジロット」というフランスの店の「テロワール・ド・ブルゴーニュ・カシス」というショコラ。カシスのゼリーとガナッシュを薄い層にしたショコラで、その酸味とガナッシュの合い方が尋常でなかった。バラ売りしてなかったのが残念。「ファブリス・ジロット」って知らなかったが、相当美味い。しかも、これチョコのくせに珈琲はもちろん紅茶にとても合うのだ。単叢もイケそう。

●あと、カナダのショコラティエ ベルナルド・カラボーの「チョコレートドロップ」が美味かった。これ、温めた牛乳で溶かして「チョコレートティー」というのが作れるのだけど、これが、コックリと甘くて、でも後味の切れが良くて、しかも後味にはカカオの香りが鼻から抜けて気持ち良いという、最強に近いチョコレートドリンク。ここのチョコ自体は、このイベントのみの発売らしいけど、チョコレートティーは伊勢丹地下のカフェで飲めるらしい。あんまり美味かったので、チョコレートティーセットの他にホワイトチョコのチョコレートドロップも買ってしまった。こっちでもドリンク作れるらしい。

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海風號の新着古玩たちで色々考える

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今回の設楽さんの中国行は、主に西麻布に出来るショットバーのための店内ディスプレイ用古道具が中心だったそうだ。その品々、例えばランプシェード代わりの灯籠風のものとか、少しだけ古い官窯手の壁掛け用一輪挿しとか、銀のパイプのレプリカとか、そういうものが並ぶのだが、そこに何となく統一感があって、「これは1920年代の上海とかですか?」と聞いたら、「正確には1915年の上海のバーを演出しようと思って探したものですよ」と設楽さん。

大して古い中国の知識の持ち合わせが無い俺でさえ、そこに時代の共通性みたいなものを感じられるのだから、やはり店の内装をプロデュースするためには、そういう時代感覚はとても重要だということを再認識する。大して知らなくても、そこに極端に時代が違うものが置かれていれば、そこは浮く。浮いたものは目に入るし、それが意味を持って時代を外しているのではなく、単なるアドリブで入れてあるなら、それは失敗と呼ぶべきなんだろうと思う。

モノがまとっている空気の面白さが古玩の楽しみの一つであることは間違いないような気がする。実は俺は、基本的にパンクスなので、坂口安吾ではないけれど、古いものよりも、伝統は踏まえるにしても、そこから作り出す新しいものを「美」とする感覚で生きてきた。だから古いものがよく分からないのだけど、それがまとう空気が、知らない場所、知らない土地のものであり、それが心地よいなら、俺にとって新しいものとして楽しめるような気がしている。

今回、海風號に来た古玩達は、それほど極端に古いものではなく、手が届くくらいの過去で、でも、知らない世界の空気感を持っていて、しかも、設楽さんの言う1915年は、第一次世界大戦の最中、上海が世界の魔都と呼ばれた時代。その猥雑感と道教的なムードの混ざり具合が、チャイナファンタジーの中国みたいで、そういう楽しみ方をするためのお手本になるような時代に思えるのだ。

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こんな茶杯があって、これは予定価格5客で3万円。民国くらいの官窯手だそうだ。薄くて軽いのは当然として、その縁の花みたいな処理なんか、何と言うか丁寧な仕事とキレイな仕上げと、独特の美意識が混ざったような茶杯で、まるで青幣の親分のお茶会みたいなムードがあって面白いのだ。ゆったりしてて緊張感があるというか。

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それに、さらに古い絵皿が数種類。予定価格1枚5000円。植物モチーフの吉祥模様は、シンプルだけに時代を越えて、赤が緑が入っているから、戦前の上海っぽくて、だから、清の中ごろのものだそうだけど、不思議に「今」に近い感じがする。近い過去。それこそ、民国の頃の店で、その店のセンスで使う古い皿という感じで。

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大きいのは7000円。大小どちらも微妙に違うデザインも面白くて、サイズがちょうど良くて、もし俺が珈琲屋やるんなら、ソーサーにしてみたいような、そんな絵皿。前にも設楽さんが買い付けてきた藍染めの絵皿も入っていて、それもまた良くて。

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壁掛けの一輪挿しもある。2個で2万円。文革の頃のものらしい。何とも不思議な色気がある一輪挿し。修業中の男の部屋の壁に、誰かがいつか置いていったような、そんなムード。不思議と男性的というか、風流というか、そんな趣があるのは、これが簡易床の間的なデザインだからだろうか。武士っぽい。

古玩は、その本来の時代の空気と、今の空気を混ぜてしまうところに面白さがあるなと、今の俺は思う。それ以上のことは、まだよく分からない。時々、あからさまに「好き」と思うものがあるけど、その「好き」の意味も掴めていない。でも古くても新しくても「使えてなんぼ」としか思えないのが、まだまだガキであるのだろうな。

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