茶器考 2「平べったいもの」

出来れば、シリーズものなんで、「茶器考1『細長いもの』」から読んでいただけると嬉しいです。微妙に続き物になっていますので。
で、本文です。
茶壺は、平べったいものが人気だったりする。俺も無闇に平たいものをいくつか持ってる。特に平たいものが好きというつもりもないけど、細長い茶壺は持ってないが平たいのはあるわけで、また、縦横比で縦が長いものより、圧倒的に横が長いものの方が多いわけで、横が長い茶杯の数の少なさに比べれば、平たい茶壺はメインストリームと言っても良いのかもしれない(何を言ってるのだか)。
もっとも、細長い茶壺というのは使いにくそうではある。茶葉は開かないし、茶葉の分量は分かりにくいし、淹れる最中に振ったりしそうだ、俺だと。だから、まあ細長い茶壺というのは論外にしても、倣古壺とか扁壺とか線壺とかいった、比較的平たいデザインの茶壺を好む人は多いような気がする。
俺にしても、平たい茶壺に惹かれることがよくある。ただ、分かんないのは、何故、このデザインを良いと思ったのだろうという理由がほとんど無いこと。例えば機能で言えば、平たい倣古壺より円柱形の漢瓦壺の方が遥かに使いやすいし、失敗も少ないし、洗い易いし、茶葉も出し入れしやすいし、茶葉の形状も選ばない。デザインとしての完成度だけで言えば、倣古壺より水平壺の方が明らかに高度だ。奥も深いし、機能とデザインのバランスも微妙でキレイ。
まあ水平壺の場合、良いものとそうでもないものの区別が微妙過ぎて判断が難しいし(主観が入りにくいというか)、漢瓦壺は悲しいかな選択肢がなさ過ぎる。倣古壺あたりが、思い入れとか主観とかを受け入れてくれる隙が多そうな感じは確かにあるのだ。道具としてより、グッズ感が強いものとして。
もちろん、大きな茶葉が入れやすいとか、長い茶葉が折らずに入れられるとか、茶壺いっぱいに茶葉が広がるとか、平たい茶壺の機能面での良さもあるとは思う。でも、それこそ細長い茶壺でも無い限り、平たい茶壺の機能的なメリットと水平壺あたりの機能で、それほどの違いが出るとは思いにくい。平た過ぎると、それなりの底面積が無いと上手い事お茶が入らなかったりするし(これは、根拠があるわけではなく、俺の経験上なのだけど、平たい茶壺は茶葉が少なかった時にやたら不味くなるような気がするのだ)。
考えてみると、俺は平たい茶壺と細長い茶杯の並びが好きというだけかも知れない。背が低く横に広い茶壺の隣に、その茶壺より少し背が高い茶杯が並ぶ、そのバランスが好きなのは確かだし。となると、細長い茶杯が好きだから、平たい茶壺が好きだと思うのだろうか。何か、卵鶏論争みたいだけど、あっちは「卵」で決まってるから、こっちがより難問か。
ポイントは、細長茶杯と同様かも知れない。細長茶杯が、「流れる液体」のメタファーならば、平たい茶壺は「何かが生まれ出る場所」のメタファーというのはどうだろう。イメージとしては、「海」とか「井戸の底」とかそんな感じ。「惑星ソラリス」とか。何か、平たくて広くて丸いとこから、何かが生まれてくる。で、それが流れていく先が人間の体内なら、そこへ運搬するものが「管」としての細長茶杯。おお、何かそんなSFが昔あったような気がする。
いや、茶器の話なんだけど…。
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コメント
はじめまして
「流れていく先が人間の体内なら、そこへ運搬するものが「管」として」
に反応して出てきてしまいました。
それは光瀬龍&萩尾望都「百億の昼と千億の夜」のゼンゼン・シティでしょうか?
シッタータが1つの個室(コンパートメント)を破壊するシーンは
衝撃的でした。
・・・あ、お茶の話でしたね。
投稿: 蝦餃(はーがう) | 2004.11.10 00:04
蝦餃(はーがう)さん、初めまして。
「百億の昼と千億の夜」、それもありましたね。
私としては、栗本薫の短編「ステファンの六つ子」とか、中国の妖怪の太歳とか、それこそ、レムの「ソラリスの陽のもとに」あたりをイメージしてました。
ああ、「百億の昼と千億の夜」、また読みたくなりました。どっか、そこらにあると思うので、掘り返してみましょう。
投稿: のーとみ | 2004.11.14 02:57